秘本三国志(二)

中原に戦雲たれこめ、天下まさに麻の如く乱れて、後漢の王朝はもはや崩壊同然であった。
覇権を握った董卓の恐怖政治は猛威をふるい、董卓は長安遷都を強行、遂に洛陽に火を放った。
関東の雄、袁紹を盟主に反董卓の兵を挙げた諸侯たちは、虎視眈々として中原を狙う! この時期の天下争いのトップは袁紹と袁術の兄弟であるが、一度は董卓に敗れたものの、青州黄巾軍三十万を手にした曹操が擡頭し、勢力分野に微妙な変動がおこりつつあった。
陳三国志の第二弾!群雄割拠の時代が続く──三国志の物語は、後漢末から隋の統一に至るまでの約四百年続いた分裂の時代の初期を舞台とする。
なぜ分裂したのか? なぜ早く再統一できないのか? 英雄たちはいったいどんな気持でいたのか……。
袁紹、袁術の兄弟喧嘩は中原をかきみだし、青州黄巾軍三十万をあわせた曹操は、袁紹陣営を脱して自立をする。
そして劉備玄徳、三十二歳で平原の相となり、一国一城のあるじとなった。
いよいよ天下取りゲームに、雄将たちの野望がみなぎる!いまや天下取りは、曹操と袁紹にしぼられた。
曹操のもとに亡命していた劉備は「二人で組んで天下を狙おう」との曹操の提言で、敵陣攪乱のため袁紹軍に走るが……。
さあ、いよいよ諸葛孔明の登場! 劉備玄徳の陣営は、関羽、張飛ら豪傑を揃えてはいるが、権謀術数の士に欠けており、劉備はながく参謀ぬきで戦っていたのだ。
劉備は孔明を訪ねたが、孔明は会おうとしない。
それでも劉備は三たび足を運び、いわゆる“三顧の礼”をもって智将・孔明を参謀に迎えた。
「曹操討つべし。
曹操おそるるに足らず」と、劉備陣営の名軍師・諸葛孔明は孫権を説き、赤壁の戦いは、呉の将軍・黄蓋の火攻めによって見事に孫権軍が勝利を得た。
劉備は蜀を狙い、魏は曹操、呉は孫権がおさえ、諸葛孔明が説いた「天下三分の計」どおり、乱世は三将鼎立の時代に入った。
そのなかで天子を擁し、天下統一をめざす曹操は、劉備と孫権の二雄を争わせんと謀略をめぐらし、遂に孫権軍の手によって劉備の片腕“ひげの関羽”を攻めさせ、その首を刎ねさせた!曹操、劉備、それに劉備が義兄弟の盃をかわした関羽、張飛とおなじみの英雄豪傑たちは死んだ──動乱の世は、魏、呉、蜀の三国鼎立で、小康を保ってはいる。
蜀の智将・諸葛孔明は、まず南方を平定し、後ろをかためたうえで、出師の表をたてまつって魏を討つ。
しかし、参謀・馬謖のせいで敗れ、“泣いて馬謖を斬った”。
孔明はついに仲秋の五丈原で陣没し、“死せる孔明、生ける仲達を走らす”と後世の語り草を生む。
陳史観によるこの異色の『三国志』も本巻をもって完結。
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